遊林寺|真宗大谷派(東本願寺)

縁とは

縁とは私を中心に広がっていくのではなく 私に向かって伸びてくる

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生きている限り、日々様々な事に出会います。その出会った事柄が、好い事ばかりだといいのですが、私たちの日常はそんな夢のようにはいかないようですね。

 

出会った事を「ご縁と感じる」か?それとも「ただ通り過ぎて行く」だけか?ここに大きな分かれ目があるようです。
日頃、私たちが「ご縁」と使う時は自分にとって好ましい事との出会いの時に使いますが、どうもその使い方だけでは充分ではないようです。嫌な事に出会った時も「ご縁」なのです。

 

「ご縁」と感じていればどうなるのかというと、「自分を見つめ、掘り下げていく力が与えられてくる」のです。これは私たちの思いで物事を自分に都合よく判断する日常のあり方とは異なる感覚でとても重要なことです。自分にとって嫌なことほど自分を見つめるチャンスに成るように思います。日常の嫌な事をすべて他人のせいにしようとしている自分の姿が見えてきませんか?それと同時にそんなことに明け暮れる私たちを悲しんでいる仏に私たちは出会うのです。

 南無阿弥陀仏

住職 釋淳照

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