遊林寺|真宗大谷派(東本願寺)

sorehaguuzenka

それは偶然か 必然か  逃げるのか 受けるのか

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暮らしの中でいろいろな事に出遭う。些細な事も、ビックリするような事も、心温まるような事も、悲しくなるような事も…。生活とは「出遭いの連続」といってもよいかと思う。 そんな中で「出遭いを受けとめる」大事さと難しさを思う。本来、あらゆる事が歴史的かつ必然的な出遭いなのでしょう。しかし、とてもそうとは思えないまま通り過ぎて行く。

 

この言葉が僕のところに届いて、以前であった事を思い出しました。 自他共に認める物静で温厚な人がいました。ある展示会でその人がスタッフをしていた時の事、ほとんど準備も整ってあと1時間でオープンという時に風が吹いて展示物が宙を舞いだしました。その人は「もーどうすんのよ!!」と怒りだしたのです。周りの人たちも普段は温厚なその人が怒っている姿に驚きながらもオープンに間に合うよう復元に尽くしました。結果なんとか間に合ってオープンに漕ぎ着けました。 その日の展示会も無事終了し、スタッフもほっとしていた頃、その人も普段の物静かで温厚な人に戻っていました。その人は「今朝は、どうもすいませんでした。もーどうしたらいいかわからなくて怒っちゃって…。」と。展示会の責任者の人がその人を優しく包むように言いました「そう、いつも優しい人でも、そういうところがあるのよ。気付いてよかったわね。」と。

 

僕たちは自分にとって嫌な事に出遭った時、「そんな事にあわなければよかったのに…。」とまずは思ってしまうようです。しかしその事柄は単に嫌な事だけではなく自分に気が付く「ご縁に恵まれた大事なこと」と感じれとれたら宝にも成るのです。

 住職 釋淳照

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