遊林寺|真宗大谷派(東本願寺)

2019.11月案内はがき法語面(HP)

なんとなく「一日が始まる」のか「念仏から一日を始める」か

気が付いたら一日が終わっていた、ということがあります。それどころか、いつの間にか一年が過ぎていた、なんて愕然とすることもあります。歳を重ねるにつれ、時の流れが速く感じるようになってきたようです。しかしそれは本当に歳のせいなのだろうか・・・。

先日、法話会にて先生が『「始まり」があやふやだから「終わり」もあやふやになってしまうのだ』と仰っていました。大体、朝は時間ギリギリまで寝ていて、バタバタと追われるように最低限の身だしなみだけ整えて家を出る私には、一日を「始めた」とはなかなか言えません・・・。こんな始まりだから、いつの間にか一日が過ぎてしまっているのでしょう。どうしたって「一日」の時間の長さは変わりません。起こる出来事も変わらないのかもしれません。しかし今日という一日が「始まる」のか、一日を「始める」のかには大きな違いがあるように思います。また、一日を「始める」ということは、一日を「終える」ということにも繋がります。放っておいても時は流れるし、歳は取る。せっかくなら、時間に追われるのではなくて、「時を生きる」人生を送りたい。

                                                                                                                                                 釋法遵

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