遊林寺|真宗大谷派(東本願寺)

2020.4法語はがき

「我先に」なんて悲しいね。「あなたもどうぞ」って言いたいね。

平常時、または平常心であれば「あなたもどうぞ」って、ほとんどの人が言えるのではないかと思う。本当に「自分さえ良ければ、他の人たちはどうなったっていい!」なんて思っている人は、いないと信じたい。でも非常時になり、欲しいと思っている物の数に限りがある場合、簡単に平常心を失って「我先に」となってしまう弱さが、人にはあるんだということを、いざ非常時になって改めて実感。

この非常時に、今、マスクが店頭に無い。店頭に無い分、どこかの誰かの手元には余るほどにあるのだろうか?そう思うと、その買い占めに対して「情けないなぁ、悲しいなぁ」と思う。「やめようよ、そういうこと。」と思う。でも、もし今、目の前にマスクが売っていたら、とりあえず私は買うかもしれない。自分の周りに「マスクがない、ない。」と言っている人たちの分も気を利かせて買うかもしれない・・・。それで店頭のマスクがなくなったら、買えなかった人は、私にこう言うだろう。「情けないなぁ、悲しいなぁ」と・・・。

「だから非常時には『我先に』になってしまっても仕方ないのです」とは仏教は言わない。「状況・立場が変われば、いくらでも相手を批判し、自分を正当化しようとする悲しい有り様よ。その自覚はあるか。」とどこまでも問うてくださるのです。

釋法遵

 

 

先が見えないのは誰でも不安だし、どんなことになってもなるべく困らないよう十分備えたいって思う。直ぐには困らない状況であっても何だか焦るというか・・・。開店前の薬局にできた行列を見て、真剣に「並んだ方がいいのかな?」って思ったりして。

でもよく考えてみると、一人一人の不安な思いの積み重ねが大きな悪循環を生み、結局は一人一人に膨らんだ不安となって返ってきてる気がするんだ。きっと本当に必要としている人の所に必要な物が届かないことにも繋がってしまっているよね。「ウィルスの影響だから仕方ない。」って片付けたくなるけど、気付かないうちに自分も悪循環の一端を担ってしまっているのかもしれないんだよね。難しいけど、それぞれがもう一度落ちついて考えたいよね。

釋尼至凛

 

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