静かによりそう それほど心強いものはない
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あなたは現実生活の中で心を寄り添わせることがどれだけできていますか? 静かに問われました。
生活のなかで、これはこうしたらいい、あれはどうする?と、ほとんどが事柄における対処のしかた、方法を伝え確認するような会話を中心とした人との関わりで明けて暮れていく日々のように思います。
転ばぬ先の杖を出したり、その時に良かれと思って言った言葉も後から思うと本当はどうなんだろうと問い返したくなることもあります。気が付けば人の為と思いながらも自分の感覚を押しつけているだけだったりします。またそんな事をしている自分にいつでも気付ければいいのですが、気付けることが稀であることにと気付いた時に自分の姿にビックリするような、恥ずかしくなるような、自己弁護するような、反省するような、・・・。そしてそのことをまた忘れてしまう・・・。
お釈迦様はある信者の愚痴ともいえるような問いかけに黙って耳を傾き続けたそうです。なんで答えてくれないのかと信者から文句を言われながらも聞き続けた。聞き続けたその中に信者自身が愚痴を超える境地を深めていったというお話があります。この時、お釈迦様と信者の身体は別でも同じものを確め合っていたのでしょう。その心強さは何物にも勝る安心といえましょう。人として共に救われていくということがここにあります。
私たちはこんな話を聞いても「私はお釈迦様のようには成れようがない」と斜に構えてしまう悲しいところがあります。それでもお釈迦様の教えはただの昔話ではないはずです。
住職 釋淳照