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「これが常識」とか「普通はね」とか。言葉に隠す自分の都合

「あの当時の常識」が「今の非常識」であったり、「アメリカにおける普通」が「日本における不通(とおらず)」であったりする。「常識」や「普通」は、ルールがあるようでない。するといつの間にか、自分の考えていることが常識であると思い込み、その考えに合わないものこそが非常識であると勘違いしてしまっている私。そう指摘されると、いつもただただ自分の都合を押し付けているだけなのだと気付かされる。しかもその自分の都合を、自分の意見として言うのではなく、「普通さぁ」という盾に守らせているのだからタチが悪い。 釋法遵   ダウンロードはこちら  

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